[พ]日本発の哀しきゾンビ映画「Miss ZOMBIE(ミス・ゾンビ)」が想像以上に素晴らしい @kun_maa
日本のゾンビ映画といえば、どちらかというとコメディタッチのものかエログロあるいはクズのような作品ばかりという印象を持っていた。でもこの作品は違った。
ゾンビをタイトルに用いながらも、他では観ることのできない哀しい心象にあふれた作品である。タイトルだけ見るとなんとなくエロッぽいっけど。
物語は、夫婦と子供1人の幸せそうな寺本家にある日大きな木箱が届いたことから始まる。荷物の送り主は医師である夫の知り合い。ビジネスとしてゾンビをペット化することを考えていたらしいが、なにかヤバいことに巻き込まれたようで音信不通となる。
届いた木箱を開けると、中から出てきたのは檻に入ったおとなしい若い女のゾンビ「沙羅」。「肉を与えるな」という説明書と、凶暴化した時のためにと一丁の拳銃が同梱されていた。
町会長のような男が、沙羅の存在を噂で聞きつけて寺本家に文句を言いに来たところをみると、作品世界では一般的に「ゾンビ」の存在が認知されているようだ。
沙羅の扱いに困った寺本家では彼女を家で奴隷同然に働かせることにする。ゾンビとはいえ、人間だった頃の微かな記憶も残る彼女に言葉は通じるようで、単純な作業を命じられるままに黙々と働き、食料として野菜を手渡されて住処である倉庫へと帰る毎日。
作品は、日常生活の中におとなしいゾンビの沙羅が入り込んでくることによって、次第に歯車が狂い始める人間たちの様子を淡々と描いていく。
そこに描かれている世界は、いわゆる「ゾンビ映画」とはまったく異質のものである。
襲いかかってくるゾンビに対して人間が抵抗するという予定調和のような、見慣れた風景は存在しない。
完全にゾンビ化していない沙羅に対する人間の欲望や、差別、嫉妬心といったものを、極限まで削ぎ落としたかのように思える台詞や、抑えた演技、そしてモノクロによる光と影の映像美によって見事に表現している。
この作品が描いているのは、沙羅の存在によってあらわにされる人間の残酷性と狂気、そして根底に存在する母性愛である。
ゾンビであるが故に受ける容赦のない虐待とそれに対してなんの感情も見せない沙羅。しかし、微かに残る人間だったときの記憶とそこから連想される母性愛が、ある事件をきっかけにして感情を失ったはずの沙羅に心を取り戻させる。
そして、物静かに流れていた時間は一気にクライマックスへとなだれ込んでいく。
母性愛故に嫉妬に狂った人間の狂気と、人間だから持ち得るはずの母性愛を取り戻したゾンビの沙羅。
静から動への転換。そしてモノクロからカラー、またモノクロの世界へと戻っていく沙羅の心象風景と連動した表現にすっかりやられた。完全に魅入ってしまった。
日本人監督だからこそ描くことのできた、繊細で哀しい異色のゾンビ映画である。
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