[พ]映画「ゾンビーノ(原題:Fido)」/ゾンビと家族の交流を描いたハートフルなゾンビコメディ @kun_maa
ゾンビ映画の世界は奥深いです。こんな素晴らしい作品を見逃していたとは・・・。
2007年のカナダ映画なんですが、TSUTAYAでホラー映画やゾンビ映画ではなくコメディ映画として分類されていたのですっかり見落としていました。
確かにコメディなんだけどさ。
舞台はゾンビが蔓延し、人間対ゾンビの熾烈な戦争終了後の世界。
ゾンビ戦争で一躍大企業に発展したゾムコン社が社会を牛耳り、未だにはびこるゾンビから人間社会の平和を維持するために、ゾンビ汚染地域(ゾーン)との間に境界を設けて警備などを一手に引き受けています。ゾンビを従順にさせる首輪技術で人間の嫌がるような底辺の仕事をゾンビにさせ、ゾンビを所有する事は一種の社会的ステイタスにもなっているという、なんかかなりいびつで不自然な社会です。
主人公の少年ティミーはそんな社会に違和感を感じていて、誰もが「ゾンビは悪!ゾンビは奴隷!」ってイメージを洗脳されているかのような生活の中で「ゾンビって生きてるの?死んでるの?」っていうまともな疑問をぶつける事ができるような、空気を読まない少年です。だから学校では浮いちゃうし、いじめの対象にもなっちゃう。
おまけに家庭では自分の事しか考えない父親(まるで自分のようだ( ゚д゚)ハッ!)、世間体を気にしてばかりいる母親と両親にも恵まれず、たぶんこのまま成長したら将来はグレるなって思います。
そんな孤独な彼を救ってくれたのが、母親が世間体を気にしてゾンビ嫌いの父親の反対を押し切って飼う(?)ことになったゾンビ。
最初はこのゾンビを小馬鹿にしていたティミーですが、いじめっ子から彼を守ってくれたことからファイドという名前をつけてどんどん仲良くなっていきます。
子供なんて現金なモノです。
孤独な少年に人間らしい喜びを与えるのがゾンビのファイドという滑稽さ。
そして、そんな素晴らしいゾンビでも、従順にあやつるための首輪が壊れればあっという間に人を襲って食べてしまうというギャップ。
そう、ファイドも首輪の故障であっさりと近所の嫌みな婆さんを食べちゃいます。
そのことを隠そうとする主人公の行動が更なる悲劇を生み、やがて大事件となっていますのですが、それは観てのお楽しみ。
たぶん、多くのゾンビ映画にありがちな深読みとして、ゾンビは貧困層の象徴だとか、孤独な少年にとって身近な人間よりも余程ゾンビの方が心を持っている存在だという皮肉だとか難しいことを考えて感想を書くとかっこいいのかもしれませんが、そういうのはそれぞれ観た人が感じるものであって深読みの押し売りみたいなのは、僕はあまり好きではありません。
観たまま楽しめばいいと思うんです。そういう意味でも、観ている人間にいろいろ考えさせながら非常に楽しめる作品です。
基本的にゾンビのファイドの行動を通して、主人公やその家族(特に母親)が人間らしく変化していくというハートフルなコメディなんですが、その一方でとても人間の命は軽く扱われます。観ていると、え?え?って感じになるほど。
老人も子供も、ゾムコン社の人間も、主人公にとってイヤな奴らはあっさりと死にます。
っていうか殺されます。その辺は容赦ないです。そして殺した方にはなんの良心の呵責も無いんですよね。相手が悪いからしょうがないよねって感じ。なんていうか社会が歪んでいますね。
その一方で、ゾンビに対するひどい扱いに異を唱えて、まるで人間のように扱う場面も多数登場します。主人公の母親も「友情みたいなものよ」と言いつつ、完全にファイドに恋してます。ゾンビって臭くないのかな?
近所には、ゾンビを恋人にしている元ゾムコン社員もいます。この男も対外的には恋人だとは認めませんが、ある事件をきっかけにその想いをさらけだします。
人間が非人間的で、ゾンビが人間的っていう構造。
そして、淡々と死んでいく登場人物。ゾンビと人間の交流が生み出す大きな変化。
さまざまな出来事を抱えながらクライマックスへと突き進むイケてるストーリー。
こんなおもしろいゾンビ映画を観ていなかったなんて本当に不覚でした。ゾンビ映画ファンを自称してすいませんでしたって感じです。
終末的なゾンビ映画にありがちな悲壮感はまったくありませんが、命に対して妙にドライな印象を受けるとともに、その一方で心温まる不思議なゾンビ映画です。
もちろんコメディなので笑えますが、ブラックな笑いも多いです。
ふだんゾンビ映画を観ない人でも楽しめる懐の広い娯楽作品だと思います。
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