[พ]映画「ムカデ人間」/間接的にジワジワとくる不思議な「なんじゃこりゃ」な作品 @kun_maa
2011年日本公開のオランダ映画。タイトルがすでに意味不明なのだが、この発想はどうしたら生まれるのだろうという興味と困惑を禁じ得ない不思議な作品である。
ドイツ郊外に住む元外科医のヨーゼフ・ハイター博士は、シャム双生児の分離の権威でもあるらしいが、なぜか分離とは真逆の「結合」がお好みのようで、ものすごい執念を抑えられずにいる。
自分の飼い犬3匹を繋げてみたけど死んじゃった過去を持ち、現在は結合材料となる人間を狩っているという超不気味なおっさん。
そんなハイター博士のもとに、レンタカーがパンクして道に迷ったニューヨークからのアメリカ人旅行者リンジーとジェニーが訪れる。
人間を結合することしか頭にないキ◯ガイ博士がこれを見逃すはずもなく、レイプドラックと麻酔注射を使ってあっさりと地下室に監禁。
彼女たちよりも先に監禁していたトラック運転手は、なぜか「お前は結合に不適合だ」と言われてあっさり毒殺。博士がその後に捕まえてきたのは日本人ヤクザの青年。
この日本人カツロー役の北村昭博という役者、なかなかいい味を出していてこんなイカれた作品中にあっても一際光っていた。
そして、監禁されている3人に対して自分の「ムカデ人間」手術の説明を恍惚とした表情で説明するハイター博士。マジキチである。
その手術の内容とは次のようなものである。
A体、B体、C体の3つの人体の、ヒザの皿のじん帯を切除して四つん這いにさせ、A体の肛門とすべての歯を抜いたB体の口唇、同じくB体の肛門とC体の口唇を縫合して一体化させ、養分はAが口から摂取し、Bを通過してCの肛門から排泄させるというおぞましい手術。博士はそれを"ムカデ人間 第一シークエンス"と呼ぶのだった。(作品公式サイトから引用)
映像として、肛門と口唇の結合部分が直接見えるわけでも、Aの排泄物(つまりウ◯コ)がBの口に流れ込むところが映されるわけでもないのだが、ちょっと想像しただけで吐き気を催すほどの嫌悪感に襲われる。
その後、リンジーの徒労に終わる脱出劇の中で、ハイター博士の異常性をさらに印象付けてから結局その異常な手術は実行されてしまう。
この手術映像もグロいシーンは必要最低限に抑えられている。
そしておぞましい「ムカデ人間」の完成である。
この「ムカデ人間」のどこにそれほどの喜びを感じるのか、博士の気持ちはまったく理解できないし、ちょっと考えると、この事態は当事者にとっては恐怖と絶望でしかないけれど、観客にとっては冗談としか思えない。
だって、口と肛門で3人の人間を単純に繋げただけだ。普通に考えたってこんなの生物として生きられるわけがないことは医療の知識がなくたってわかる。
それなのに、なぜこんなに非現実的な世界に対して不気味な現実感がわくのだろう。
理解できないことへの単純な恐怖感だけではないなにかが、僕を取り込んでいく。
ありえない作品世界の中に取り込まれていく感覚は、それが不気味な世界であっても不思議な気持ちよさがある。
ムカデ人間の完成に酔いしれて歓喜の涙を流す博士の気持ちは、相変わらず理解不能だが、もしかしたらこんな世界もドイツの片隅にはあるのかもしれないなどと現実と作品世界の境界線があやふやに滲んでいく。
奴隷の如く"ムカデ人間"を扱う博士。いったい彼は何がやりたかったのだろう。
単なる変態だったのだろうか。それだけの作品なのだろうか。
そこには、「人間の尊厳」についてのメッセージが見え隠れするような気がするのだが、気のせいかもしれない。最後まで確信は持てなかった。
そして、訪れるハイター博士とムカデ人間との生活の終焉。
ムカデ化されたまま生き残ってしまったリンジーのその後は気になるし、最後までイカれた世界を描き切った感のある救いのない作品だが、妙に心に引っかかる作品である。
イカれた世界を描いた異常な作品ではあるが、ダイレクトにそれを映像として見せつけるいやらしさはそこにはなく、観る者の想像力に訴えながら間接的にジワジワと嫌悪感と魅力を沁み渡らせていく不思議な作品である。
観終わった今、「ムカデ人間2」を観てみたい衝動に襲われている。
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